一橋大学のやさしい解説

@大学の生い立ち
森有礼(初代文部大臣)は幕末期にロンドン大学に留学し、イギリス資本主義の繁栄を体験し、明治3年から米国代理公使として南北戦争直後のアメリカの経済発展を目の当たりにした。そして国家独立の基礎は経済の富強にあり、そのためには国家による経済人の育成が不可欠であると感じた。
そしてニューヨーク副領事であった富田鉄之助(のちに日銀総裁)と計り、富田の恩師W・C・ホイットニーを 教師として日本に招いた。商業学校設立に際し、森は国立を希望したが文部卿に拒否された。そこで渋沢栄一、福沢諭吉、勝海舟等の賛同を得て、明治8年まず私立商法講習所を銀座尾張町の鯛味噌屋の二階(銀座松坂屋の辺り、記念碑あり)を仮校舎として設立した。翌年木挽町に移転する。授業内容は英語、商業簿記、算術、欧米の商慣習等であった。渋沢が頭取であった東京会議所(商工会議所の前身)や府立を経て明治17年農商務省に移管され国立の東京商業学校となった。
明治18年に本校を神田一ツ橋に移す。明治35年神戸高商が設立されたのに伴い、東京高等商業学校と改称された。長い大学昇格運動の末、大正9年東京商科大学に昇格、各地の高商の俊秀も集めて多くの優れた卒業生を出し、日本経済発展の原動力となった。大正12年の関東大震災により、石神井、小平、国立に移転することになり、昭和10年までに予科は小平、本校は国立になった。
昭和19年から22年まで東京産業大学と改名したが、再び東京商科大学になり、昭和24年学制改革により新制一橋大学となり現在に至っている。

A大学の特色
 東大を初めとする旧帝大の官吏養成と異なり、主として民間の経済発展を担う人材養成が特色である。現在、社会科学の総合大学として、商学部、経済学部、法学部、社会学部で構成される。また伝統的に語学、歴史、文学、哲学等の分野にも優秀な教授陣を擁し、教養ある経済人のみならず、各分野に優れた学者を生み出しているほか、故大平首相、故渡辺美智雄副総理や現石原都知事、田中長野県知事、村上東海村村長等の特に個性的な政治家やまた作家では故伊藤整や城山三郎等の人材を輩出している。またその他にも関野吉晴(探検家)、山本コウタロー(音楽プロデューサー)、松井道夫(証券)、三木谷浩史(楽天)等が目立つが、彼等のユニークさも一橋の自由な学風によるものといえよう。
 前学長は石弘光氏で、政府税制調査会会長も兼任している。 最近では東京工業大学、東京外国語大学、東京医科歯科大学と提携したカリキュラムを持つなど、大学制度革新の先頭を切っている。

B大学院重点化と国際交流
現在は正確には社会科学系大学院大学であり、特に大学院の充実、拡充を計っており、出身大学にこだわらず優秀な人材をどんどん採用し、優れた教授陣を擁している。特筆すべきは国際交流を大きな目標とし、小平キャンパスにはそのための諸施設が続々と建設されている。日本でも屈指の国際交流キャンパスのひとつである。(参考:一橋大学情報「小平キャンパスの施設・・・」)

C恵まれた環境と強力な校友会の後援
関東大震災により全焼した神田一ッ橋校舎のため、大正13年から昭和10年までに広大な武蔵野原野に学園都市の中核として再建された。分寺と川の真ん中に位置するため、駅名は国立となった。
整然たる都市計画の下に立地しており、欧米の有名な学園都市に劣らない日本有数の恵まれた環境にある。(写真集「一橋大学と国立の町」参照)
 また、旧帝国大学と異なり自力で発展してきたことから、卒業生の母校愛はきわめて強く国立大学でありながら、校友会(如水会)は諸施設を寄附のほか教授の海外出張費を負担したり、学生の海外留学制度(毎年30名以上派遣)等で母校を支援している。

D活躍する卒業生
 山口信夫(昭27学・日本商工会議所会頭・旭化成会長)
 奥田碩(昭30商・前日本経団連会長・トヨタ自動車取締役)
 石原慎太郎(昭31法・東京都知事)
 上原英治(昭34商・東京ガス副会長)
 江頭邦雄(昭37経・味の素会長如水会理事長)
 石坂芳男(昭38法・トヨタ自動車相談役・如水会副理事長)
 飯島延浩(昭39経・山崎製パン社長)
 吉野泰生(昭40商・住友生命会長)
 横山進一(昭41経・住友生命社長)
 岡本行夫(昭43経・外交評論家)
 松井道夫(昭51経・松井証券社長)
 大倉治彦(昭56経・月桂冠社長)
 三木谷浩史(昭63商・楽天社長)
 現閣僚は
 尾身幸次(昭31商・財務大臣)
 大田弘子(昭51社・経済・財政担当大臣)

 その他多数


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